モン族の人たちは、長い歴史の中で変わらず受け継いできた刺繍やアップリケの技術により、難民キャンプ内の生活の中でも、民族の誇りと文化を忘れることがありませんでした。
モン族の歴史と伝統文化
モン(Hmong)族は、現在、中国南部、ベトナム、ラオス、タイなどの山岳地域に居住する山岳少数民族です。中国南部からベトナム・ラオスに定着し、19世紀末にはタイに南下してきたと考えられています。
中国では、「苗族(ミャオ/メオ)族」と呼ばれており、それは元々は平地に住み、稲作を生業とし、稲の苗を持って移動した民族だからという説があるそうです。
しかしながら、中国南部から支配民族からの迫害を逃れ、平地から、中国南部の山岳地域へ、そして幾つもの山を越え、19世紀末頃には、ベトナム、ラオス、そしてタイへ南下し、移り住むようになったと考えられています。
「ミャオ」または「メオ」は蔑称であり、自らは、空に一番近い民族である「空の民」を意味する「モン(Hmong)」を使っています。
顔つきは、日本人と、とてもよく似ています。
それには、こんな古い伝承が残っているそうです。
その昔、中国の王様の家来にリーハーというモン族の男がおり、王様に気に入られていました。
それをねたんだ他の家来が王様に、リーハーに不老不死の妙薬を取りにいかせるよう仕向けました。リーハーは、500人の男、500人の女、鶏や豚、家財道具すべてを持って海を渡り、日本にたどり着きましたが、リーハーは戻らず、500人の男女は結婚して日本人の先祖となったというのです。
だから、モン族の人たちは、自分たちと中国人と日本人は兄弟だと言うそうです。
あるモン族の村の子どもたちの写真の中に、子どもの頃の自分と同じ顔をした少女を見つけた時には、本当に驚き、自分とのつながりを感じたのを思い出しました。
確かに、モン族の文化には、餅つき、こま回し、羽根つき、納豆、甘酒など、日本と同じものがたくさんあります。
難民キャンプでうまれたモン族のライフシーン刺繍
モン族は長い間、山の自然に宿る精霊を信じ、山の斜面に焼畑で米やとうもろこしを作り、山の中で、自然とともに、山とともに生活していました。
しかしながら、ベトナム戦争と同時期におこった政権争いのラオス内戦に巻き込まれ、ベトナムや中国が支援する政府側とアメリカの支援する反政府側とにわかれ、多くが反政府側の兵力に組み込まれ戦いました。
そのため、ラオスが社会主義となった1975年以降、多くの人々が難民として、隣国のタイに難民として流出しました。
今では、多くのモン族の人たちが、難民キャンプを経て、アメリカ、フランス、オーストラリアなどに移り住んでいますが、現在でもタイ国内のターク県、ナーン県、チェンライ県、ピッサヌローク県、ペッチャブン県などに多く住んでいます。
モン(Hmong)族は、もともと文字を持たないため、こうしたモン族の歴史や民話などを、自分たちが得意とする刺繍であらわしました。
ラオスから逃れ、山の中を何日も歩き逃げる様子、国境のメコン川を竹を浮き輪代わりに両脇にはさみ国境のメコン川を渡りタイへ逃れる様子や、モン族の生活の様子(ライフシーン)を刺繍して、タイの難民キャンプで販売するようになりました。
文字の代わりに刺繍であらわすことで、民族の歴史や誇りなどだけでなく、モン族の伝統技術を次の世代に伝えていきました。
一般的なアップリケとモン族のリバースアップリケ
モン族の女性たちは、刺繍の他にも、アップリケの技術にもたけています。
通常のアップリケとは逆の方法で、重ねた布の上にデザインを描いて切込みを入れ、土台となる下の布にまつっていく「リバースアップリケ」とよばれるものです。
何枚もの布を重ね、上側の布に切れ込みを入れ、裏側に折り込むことで下の布の色で模様がつくられていきます。
リバースアップリケの技法を使った、中南米サンブラス諸島のクーナ族による「モラ」は有名です。
幾重にも布を重ねて色鮮やかに人や動物を表現し、クーナ族の民族性が感じられる構図が多くあります。
モン族のリバースアップリケの図柄も、象や犬の足跡、カタツムリの殻、ムカデ、クモの糸、キュウリの種など、身近な自然の生き物などからデザインされています。
その中でも、渦巻き模様のカタツムリの殻は、家族の成長と繁栄を意味し、よく使われています。
こうした、伝統的なモチーフと現代のもの、を新しいデザインとして取り入れていくこともあります。
考えられたモチーフは、厚紙などで型をとり、布に線を描き作っていきます。
モン族のおしゃれな襟飾り
モン族には、黒モン族、白モン族、縞モン族、青モン族・・・、といくつかの支族にわかれています。
タイでは、青モン族、白モン族が多く移住しており、言語、伝統衣装、風俗においてそれぞれ違いがあります。
私たちが判断できる外見の違いは、民族衣装の色です。
タイの青モン族の人たちは、藍のろうけつ染め(バティック)の布のスカートをはいています。
それぞれの衣装、刺繍やアップリケのモチーフ(柄)などは異なるのですが、どの支族にも共通しているのが、上着の襟です。
この小さな布の中に、たくさんのモン族の伝統技術が盛り込まれ、とてもすてきなものです。
そのため、近年、この襟の部分だけがマーケットなどで売られるほど、これだけでも非常に価値のあるものになってきています。
下記は、タイ北部の青モン族の場合ですが、首の後ろ側に、表に刺繍部分がでるように縫いつけます。
モン族の刺繍と他民族(ミェン族)との刺繍の融合
伝統的な技術も、長い年月を経て、昔から伝わるモチーフ(柄)から少しずつ変化していきます。
リバースアップリケのデザインが、伝統的なモチーフをもとに、今現在あるもののデザインへと変化していくように、「昔」と「今」が混ざり合い、変化していくことは避けられないことなのかもしれません。
その中でも、とても興味深いのが、デザインや技法の変化が、同じ民族の間だけではなく、他の民族との間にも起こっていることでした。
モン(Hmong)族の女性が、腰に巻き、スカートの後ろに垂らしている布は、ミェン族の刺繍柄の布です。
これは、モン族の女性が自ら刺繍したもので、ミェン族で使われているモチーフ(柄)をモン族独自のデザインと組み合わせ、自分たちの民族衣装の中に取り入れていました。
村で、刺繍をしているところをよく見ると、ミェン族のモチーフ(柄)を刺繍している人がたくさんいました。
あるカレンの村では、ミャンマー(ビルマ)からの出稼ぎのモン(Mon)族の人を雇用してカレン族の布を織っていることもあるように、異なる民族間での伝統技術の融合も進んでいくことも考えられます。
それぞれの民族独自の伝統的を守り、伝承していくことも大切なことですが、時の流れと共に、伝統技術や文化も変化していくことは必然的なことなのかもしれません。
これまでの長い時間の中、そうして変化しながら残ってきたもの、それが今見ている伝統ともいえるのかもしれません。
そして、それが新たな評価を受け、次の世代へと引き継がれていくのかもしれません。
「織り人」では、伝統的な文化や技術を守ることだけでなく、その変化も受け入れ、新たに売れる商品へとつくり上げ、いつもまでも続いていく「もの」をつくっていきたいと思っています。
参考文献
*Amazonの商品詳細ページへリンクしています。
このページの写真および文章を無断で使用することはご遠慮ください。
また、今後の調査研究に基づき、内容を予告なく訂正する場合がございます。