モン族発のブランド『Paj Hmong(パ.モン)』
『織り人(Orijin)』では、これまで、アジア、特にタイの山岳(少数)民族であるモン族やミエン族、カレン族などの民族伝統の刺繍や織りの技術を生かしたバッグやポーチなどを作り、販売してきました。
その中でも、1975年のベトナム戦争終結後、難民として、ラオスからタイへ逃れてきたモン(Hmong)族の人たちと共に、刺繍やアップリケの文様のデザインから製作、バッグなどの縫製までを一貫しておこなう『織り人(Orijin)』プロジェクトを2015年から開始しました。
現在では、そうして出来上がった製品が、『織り人』の主な商品となり、モン族の人たちによるブランド『Paj Hmong』として立ち上げました。
『織り人(Orijin)』プロジェクトについて
『Paj Hmong』のご紹介
『Paj Hmong』とは、「パ.モン」と読み、これはモン族の言葉で、刺繍やアップリケの布のことを「Paj Ntaub(パ.ンダオ)」 と呼んでいることからきています。
モン語で、「Paj」は「花」、「Ntaub」は「布」を意味し、色あざやかな刺繍やアップリケの布は、「布の花(パ.ンダオ)」と呼ばれ、タイの難民キャンプ内では、欧米からの支援団体(NGO)の人たちの間で、「フラワー・クロス(Flower Cloth)」と親しまれ、モン族を象徴するものとなりました。
モン語は、あまり馴染みがないかもしれませんが、音節の最後の文字(「Paj」の場合の「j」)は、声調を表しており発音はせず、「高いところから急激に下降する」ことを意味しています。
また、「Hmong」については、モン語ではありませんが、一般的に、主にミャンマー(ビルマ)に暮らすモン(Mon)族と混同しないよう、「Hmong」の表記を使っています。
以上のことから、少し読みにくい綴りになっていますが、「Paj Ntaub Hmong(パ.ンダオ.モン)」を日本人にも呼びやすいように短く、『Paj Hmong(パ.モン)』というブランド名としました。
モン族の人たちのことをよく知っていただき、より身近に感じていただけたらとの想いを込めています。
ロゴに込めた想い...
ロゴの「Paj」で作り上げた三角は、モン族の人たちが暮らしていた山岳地帯の「山」を、三角からのびる下線は、山から続く「道」をあらわしています。
もともと、モン族は、中国南部からラオス、タイ、ベトナムなど東南アジアの山岳地域で、独自の文化を守りながら暮らしてきましたが、長い歴史の中で、多数民族との争いのたびに、新たな山を目指して移動を繰り返してきました。
特に、ラオスのモン族の中には、ベトナム戦争に翻弄され、タイの難民キャンプに逃れた後、さらに、タイ国内、アメリカやヨーロッパなどの第三国への移住を余儀なくされた人たちがたくさんいました。
それでも、モン族としての誇りを忘れず、新たな場所で生きていく道を探し続け、アメリカに渡ったモン族の中には、政治家や警察官として国のために働いている人、国の代表になりオリンピックに出場し、金メダルを獲得した人も出てきています。移動を繰り返し、「自分たちの国」を持つことができなかったモン族にとっては、与えられた新たな場所で頑張っていく道しかなかったのです。
世界中に散り散りになった「ディアスポラの民モン(Hmong)」
難民キャンプで暮らさざるを得なかったモン族の人たちにとって、刺繍やアップリケの「パ.ンダオ(花の布)」を作ることは、先の見えない難民キャンプでの生活を支えただけでなく、欧米諸国に送り販売され、民族伝統の技術が多くの人に認められることによって、民族の“誇り”を取り戻すことができたのです。
難民キャンプ内で作られ発展したモン族のリバースアップリケ
難民キャンプの中で作られていたモン族を代表する文様の中には、永遠に続く希望を意味する「渦巻き」がよく使われています。ロゴの中の渦巻きは、モン族の人たちの「民族の誇り」と「未来への希望」をあらわしています。
「山の民」であったモン族がたどってきた長い長い苦難の歴史の道から、希望ある明るい未来への道を進むモン族の人たちへのエールを込めました。
民族伝統の技術を”仕事”として成り立たせることによって、未来への”希望”をもち、次世代を担う子どもたちがモン族であるという“民族の誇り”をもって生きていけるような“ものづくり”を目指していきます。
『織り人(Orijin)』とは